スープを煮込むような毎日を。
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#40


昨日行ったカフェ。





職場でいろいろありすぎて
朝がものすごくしんどい。

嫌だなと思うことを言われたとき
もう驚きすぎてしまい
沈黙してしまうのだけど
その沈黙の反動があとからあとから
じわじわとやってきて

何度もそのシーンが頭の中で反芻されて
ぐるぐるが止まらず
頭のスイッチがオフにならなくなってきて
今、自分は要注意だなと
過去の経験が私に教えてくれる。

私はスポンジみたいだ。
どんな言葉も吸収しすぎて、涙が出る。

今日は早く帰れますように。
#39


突然おそいかかる言葉の暴力(と、私は感じる)に
この人はこんな人、と分かってはいても
思ってもみない角度から投げられるそれに
今日はとても疲れてしまった。

私の顔を見て、私の前にたって
言葉を伝えるわけではなく。

私ではない人に話す言葉が
明らかに私に向けての言葉だったという凍りつくような感覚。
私はたまたま、その部屋にいたのだけど。
その言葉の意味を理解できるのは、その部屋にいた人の中で私だけだった。

相手にしたくなかったので、私はしれっと部屋を出た。

突然よく分からない話をふられた人は、
曖昧な笑いで切り抜けてくれたけれど、
なんか、そういうの、どの人にとっても失礼だと思った。

と、同時に。
相手を自分の思いの実現の手段としているその人を、なんだか寂しく思った。

こんなふうに。
仕事では日々が本当に人間関係の渦巻きで。
そのバランスを保つことはもちろん
出る杭は打たれろ的な風潮もいなめず
きついと思える言葉を、なぜ私達が?と思うようなタイミングで言われることも多く…

忍耐の日々だ。

でも今日はいろいろ重なったところに
夫の不機嫌(これは家事から遠ざかりすぎている私にも否がある)が掛け合わされて
自己嫌悪の大渦にトリップしてしまい
久々のプチ過呼吸を起こしてしまった。


冷え込んできてから、耳鳴りもするし
軽いめまいと動悸も。

あんまり元気が出ないけど
ゆっくり寝ようと思います。



いやな人に負けたくない。

#38



ずっとここをアップできずにいたのは
4月からお勤めを始め、
日々がおそろしくバタバタだったから。

二学期が始まり、1ヶ月が過ぎ
大きな行事も終わったこの週末は
ほぅっと一息をつけるような気持ちです。

朝のうちは、体もだるくて、頭も重くて
お持ち帰りの仕事も気になり
いろんなものがのしかかって、どんよりでしたが

少し仕事を片付けたことと
久々に天然生活を買ったこと
3月のライオンの12巻が出てたこと
そんな何気ないことで、ちょっと上向きになった気がします。

nobiroomの頃とは時間の流れが違って
出会う人の数も多くて
ということは、様々な人がいて。

振り回されたり
心ない言葉や態度をぶつけられたり
そういうこともあるんだけど

悔しくて帰宅してから涙することもあるんだけど

そうじゃないこともちゃんとあって
築き上げられていく関係も芽吹いているような。

今日は本屋さんで呼びかけられ振り返ると
職場の人が笑顔でそこにいて
お子さんを紹介してくれて
私はなんだかとてもあたたかい気持ちになったのでした。

子ども達との時間も
慌ただしいながらもなんとか築けている。

今日はnobiのことを考えました。
今はあまりに時間に追われる日々なので
またもう一度nobiを再開することを考えるのも大事だなとふと思ったのです。

自分を大事にしながら働けることって
とても貴重なんだってこと。
nobiroomを離れてみて分かったような気がします。

どこかのタイミングで
nobiroomの扉をもう一度開ける日のことを
きちんと考えられたら嬉しいなと思うのでした。

写真は京都のキルフェボンからの景色。
あー、京都に住んでみたいな。
#37
悩みの終わりを見つけたい。


ポジティブに考える力。
日々を楽しむ力。

そういう力はきっと私にもあるはずだと思う。

やっぱり、ここ半年の出来事が心にきいているんだろうな。

実家で数日過ごし、昨夜帰宅したら、なんとも言えない寂しさが心を覆って、ゆうべは辛かった。

前を向くしかないんやから!
悲しんでも仕方ない!


かつて送られた言葉が心に刺さる。
荒い。
心を引き裂かれるような気持ちになって
尾をひいてしまう。


そういう言葉にはあまり振り回されず、惑わされず
私の感じる感覚で、父や母にゆっくり深く向き合っていこう。

ゆるやかに、ゆるやかに、日々を越えられるように。

そして、ゆっくりゆっくり整頓して、心のスペースを作ってゆこう。

何度も何度もよびかけながら
何度も何度も涙しながら


ここはあたたかさが薄い。
だから苦しくなるのかもしれない。

そんなときは、あたたかい場所を思おう。
広い世界に目を向けて
私の育んできたたくさんのつながりを思い出して
楽しく守られている優しい世界をきちんと感じよう。

私らしさの軸をいつも真ん中に戻せる力をしっかり養っていきたい。


かつての教え子が5人も、電車に乗って、来月遊びに来てくれるとのこと!
楽しみ(*^^*)

#36
自分の都合に合うか合わないかで
私の価値を決めないでくれ





あぁ、だから私はずっと辛く苦しかったのだ。

時間的な距離を置いたら、私の体調もよくなってきて、なんと薬を飲まずに眠れるまでになった。

が、一方で、言われたいろいろが何度も何度もよみがえり、やはり私もなにか悪いことをしていたのではないか、という罪悪感が心に湧く。

その都度、自分を省みては落ち込んで、なぜあんなに罵倒されたのだろう、と、何度も何度もそのシーンを追体験した。

いつか暴発してしまうのではないか、と思えるほどの怒りが自分の中にあることにも気づいた。

でも、今一つ「自分のここが悪かった。だからあんなふうな扱いを受けても仕方ない」という、私も納得できるような点が見つからず、苦しくて思い悩んだ。


たまたま、夫と私のそれぞれの予定がいい意味で違ったので
昨日から実家へ帰ってきた。

祖母と伯母と妹と、四人で女子会。
近くへきていた大衆演劇を見に行った。

そこにたまたま同じ地区の老人クラブの人達も来ていて、みんながばあちゃんを見つけるたび声をかけてくれた。
その内容は、どれもが、息子と嫁を亡くしたばあちゃんへの気遣いや励まし、元気そうで良かった、こんなとこへまた一緒に行こうや、という言葉ばかりで
私たちは隣で見ていて本当に心があたたまった。

大衆演劇もとてもおもしろくて大満足して、ばあちゃんやおばちゃんも喜んでいるし、良かったねと妹と言い合った。

ただ、それだけのことなんだけど
私は本当に満たされた一日だった。


そして、いっぱい妹に思いを聴いてもらい、私も聴き、眠って目覚めた早朝、私なりの今の答えがふと見つかっていた。


『自分の都合に合うか合わないかで
私の価値を決めないでくれ』



私の心にくすぶり続ける叫びのようなものに
言葉を与えるとしたら、きっとこうなのだ。


相手から全否定されるような言葉ばかりを浴び続けたここ半年。
見知らぬ土地に嫁いだところへ、あまりに理不尽な怒りを投げられ続けて、私は自分をかなり見失っていたのだなとやっと分かった。

おまえは良くない、おまえは良くない…という変な暗示をかけられていたような、そんな気持ちになった。
威圧も半端なかった。


体調は悪くなり、寝込む日もあった。
心に受けた傷はどれほどかと、掴みかかって問いただしたい気持ちすら…

以来、出来る限り波風たてぬよう、人に会わぬよう、いるかいないか分からないよう、こっそりこっそり暮らしていた。
玄関の扉を開けることすら、恐れとともに。


でも、もうそういうのもやめよう。
楽しくのびのびと、私らしく暮らそう。

そう暮らせる場を探してゆこうと思う。





相手に思いを馳せて話したり贈ったりできる人に私はなりたい。
あの人はきっと喜ぶだろうな、と相手の声や姿を思い描きながら共有できる人間になりたい。



おうちを建てたいと思った。
夫と私の好きをいっぱい詰めたおうち。
小さくていいから、自然が近くにたくさんあって静かなところへ、
二人の目や耳や心が、『ああ、ここなら』と思えるところへ居をかまえたい、と思った。

それが今のささやかな私の夢。

ちゃんと自分達を一番に大切にできるようなそんな安らぎが育める場を見つけたい。

自身を大切にできて初めて、人を思える力が湧くような気がします。

自身を整えていくこと。
優しい気持ちを無くさせられるような関係に感じる違和感に素直になろう。


私はわたしを見失わずにいたい。


#35



寝る前にスマホを見るのはあまりよくないと分かっていながらも
最近、寝る前に、父と母が入院していた頃の写真を見返すことがある。


母も父も、亡くなったのが嘘みたいに思えて
不思議な気持ちになって
写真から声が聴こえてきそうな
ありありと話す姿を思い出せるというか
なに死んじゃってんですか、とつっこみたくなるような気持ちになってしまう。


そうして、そのあと
あー本当にもういないんだなぁと思うと
やっぱりこみ上げるものがあって
感情のかたまりが涙になって出てきてしまう。


記憶のなかには、いつでも父と母がいるので
決して孤独だとか、悲しみにくれるだとか
そんな気持ちとはまた違うのだけれど
話がしたいな、と思うときに、話ができないのが一番寂しいなと思う。


入院中のことは全部
あんた一人の胸にしまっときな!
前を見て進むしかないんやから!

と、ある人に言われたけども
私はそんな簡単に父と母の生きた時間を片付けたくないと思いました。
腹が立つというか、価値観の違いがなにかすこく寂しかった。

在りし日を偲ぶ、というのは悲しいことではなく、後ろ向きなことでもなく
愛のあるあたたかい時間であること。

私はそう思います。
まるで、そうすることがダメなことのような言葉を最初に投げかけられたがために
私は随分苦しんだんだけど
それは私にとっては違う感覚で
その違いによく耐えたなぁと、自分をもっと褒めてあげたいと思いました。


今日は両親を知る方とお話をしたのだけれど
とてもあたたかい時間だった。
父と母のことに、ためらわずに触れてくれることが、本当にありがたい事なんだと。

そうやって、思いをやってくれることが
本当に嬉しかった。

今暮らす場所では、その機会は夫以外ほとんどなく、これが心に積もる何かの原因なんだ、となんとなくやっと分かりました。

ふるさと、の意味に
故人を知る人と励まし合える場所、という意味も
私はこれから付け加えるだろうと思いました。

#34


あけましておめでとうございます。

さる年になったはずなんだけれど、羊の写真。
おととし、仲良しの友達といった牧場。
楽しい時間だったなぁ。



心がおしつぶされそうな
そんな日もあったけれど

なんとか少しずつ落ち着いて過ごせるようになってきたように思います。


ただ、自律神経のバランスが少し崩れているようで
耳鳴りだとか、動悸だとかが現れることが。
肩こり、首痛もひどくて。。

体調を整えたい、と思い、ヨガとウォーキング&ランニングを
少しずつやっています。

2kmのウォークと、2kmのランがとても心地よく
思い悩んでいる自分から脱却できるような気持になれます。
山と川と海に囲まれていて、鳥がたくさんいる公園に行きます。
空が青い日はさらに山の緑も冴えわたり
とても気持ちの良い場所です。

大きく深呼吸をして
腕をくるくるとまわして
肩甲骨をいっぱい動かして

大好きなヨーロッパ企画のwebラジオを聴きながら
てくてく、とことこと動く時間。

達成感があってとても心が整います。

時々、小鳥が
チョンチョンと私の前を歩いてはとまり、また歩いて
まるで道案内をしてくれているような時間もあります。


自分のペースを一番感じられる時間かもしれないな。
体を動かすと、心もスッキリするように思います。

耳鳴りもだんだんと和らいでゆくといいな。

とにかく血流をよくしたい!

楽しみながら続けられたらと思います。





いっぱい遠回りをして
悩んで反省して自分を必要以上に追いつめている時間が
もしかすると人より多いのかもしれないけれど

そういう時間は決して意味のないものではない、と
強く強く信じていたいと思いました。


わたしは
わたしのリズムを
なによりも大切にしてあげたい。


心地よくいることが
誰かを幸せにすることへとつながっていくと願って
まずは自分を整えていくことを
忘れずにいようと思います。


いっぱい深呼吸をして
ぼんやりと
空を見上げて
木々を見上げて

いっぱい自分を解放してあげたい、と
そんなふうに思います。





 
#33


心を映す写真が撮れない。
これはずっと前に撮った写真。



自分の感覚に自信がもてなくなってしまい
ごめんね、ばかりを連発してしまう私に
夫は『謝ることないやんか、なんも悪いことしてないよ』と言ってくれる。

でも悪いことをしているような気になってくるのはなぜだろう。

良くない反応をあからさまに示されたから?
それが大きなショックであることにはちがいない。
流せればいいけど、なかなか流すのは難しい。
自分を否定される言葉を投げられた出来事のインパクトが強すぎて、時々分からなくなる。


ただ、今の自分に納得していないのも
今の自分を認めきれていないのも
おそらく自分なのだろう。


昨日は結局、微熱があって一日横になっていた。
夫が夕飯の用意も、お風呂ためるのも、後片付けもしてくれた(涙)
お風呂に入ってほかほかになったまま
またお布団へきた。


先の見えないトンネルの中を
通り抜けている最中のモヤモヤ。
重く苦しく肩にのしかかり、体にまとわりつく。
スムーズに歩けない。
でも、それでも歩みを続けていたら、いつか自然と全部取り払われるだろう。


受け止めるしかないこと、合わせるしかないこと、と思っている物事。
でも、たまには、それすら放棄してしまってもいいのかもしれない。


投げ出して逃げ出して遠くへ遠くへ走る。


体のリズムが崩れるくらい嫌なことからは
逃げて逃げて逃げ切るのもいいのかもしれない。

私は全部を投げ出して逃げたいのかもしれない。

顔も見たくない、存在も感じたくない
そんな思いが胸のなかにあるのが正直なところなんだろう。
その思いに気づいてしまったことがまた、大きくのしかかってくるようだ。

このままではループになってしまう、どこかでたちきりたい。

そこにどう折り合いをつけるか
そこのところが、大きな課題だ。

今朝もしんどくて、不安で、夫のまわりを何もせずうろうろしていた。
少し、お薬を飲みなと言ってもらって、今頓服を飲んだところ。
落ち着いていくといいな。



限界を定めず、何本も何本もフィルムで撮りたい。

子どもの頃のように、冬休みが来るのをただ無邪気に楽しみにしていたい。

年があけていくのを穏やかな物音の中で過ごしたい。


ビクビクするのはもう疲れた。
お薬がきいたのか眠くなってきた。

少し、眠ったら、今日こそ着替えて、洗濯を干そう。
夕方は夫と歯医者さんだ。




#32


雨の日の朝がとても苦手で
それが週のはじめなんていうと
時間の流れの変化にますますついてゆけなくなる。

雨の日が好きな時もあるんだけれど
今日はしんどかった。


風邪なのか不定愁訴なのか
頭痛と肩痛、船酔いのようなめまいにおそわれて、起きられなかった。

あぁこれは自分の頑張りが足りないのだろう、怠けているのだ、と思っている自分もまだまだいて

きっと私についてそう思っている人もいるだろうなという強迫観念みたいなのにも苛まれて

だんだんますます辛くなってしまった。

起きて家事をしたり、シャワー浴びたりすればリズムが変わることを分かっていても
心身がうまく起動してくれない。
だから、あぁ、これが体調不良ということか、と思うことにした。
調子がよければ起きていろいろできるもんな。

それができないってことは
心身がお疲れの合図を送っているということなんだろう。

ゆっくり眠れればいいのだけど
こんなときに限って、自分に向けて放たれたきつい言葉たちが頭を占めリピートする。
その場面が再生し続ける。

こうして反芻するのは、出来事を一生懸命受け止めようとしているからなのかな、とも思う。
また発散して昇華させられていないことなのかなとも思う。


なにかしら、まだ心にひっかかっていることなんだろう。
早くこの心のもやもやというか傷のようなものが消えてなくなればいいのに。

必要以上に辛いのはこりごり。
言ったもん勝ちみたいなニュアンスは非常に苦手。

結婚してから
私はなんとも生き甲斐をどこに持っていけばいいのか分からなくなってしまった。

今までは仕事にすごく打ち込んでいたのかもしれないなと、今、振り返って思う。
夫と食べるごはんを作ったり、家のことをしたりするのは嫌いではないし、楽しいと思う。

でもどこか、自分でお金を稼いでない今、というのがずっと自分に不安を投げかけてくる感覚なのです。


家族の基盤を築く大切な1年目なんだと分かっているし
家事もまた貴重な仕事なんだと感じてもいる。

が、私ばかり仕事もやめて、住むところも変わって、家族とも友達とも離れて…なんなのさ!!と感じる気持ちも正直いうとあるんです…。

なのに嫌味を言われ…私って一体なんのためにここへ来たの?こんななら、もっと話し合って私が仕事していたところへ夫に来てもらえば良かった…とか、思い詰めてしまうときもあって。。

でも、私が来たことで、夫や夫の家族にも負担はかかっているはずだから
私だけが…っていうことはないはずだから
あまりこんなこと思ってはいけないな、と感じてもいるんだけど…

当たり前みたいにここへ嫁いできたけど
私だって紆余曲折へてここへ来たんですよ、ということを知ってほしい、と思ってしまう。



いや、それとも、私の覚悟が足りなかったのかな。



夫はこんな私の不安定さにも文句言わず付き合ってくれて支えてくれる。
ここへ来たみちすじを、分かってくれている。本当にありがたいことだと思う。


その感謝を返していけるよう、
私らしくゆっくり心を回復させていきたいなと思う。
そして二人らしい家族になっていけたらと思う。



今年はいろんな変化がありすぎたから
今という時間は
それらをうけとめ、心を整理して体を休める大切な時間なんだと思うようにしたい、と、とても思う


春になったらおそらく定期的に仕事へ出られると思う。


そうなったときのために、今は夫に助けてもらって
ゆっくり休むことに、おそれや罪悪感を持ちすぎずに過ごしていたいと思います。

溜め込んでいる感情が体のバランスを崩すのかな。
悲しい辛い寂しい。。
そんな思いも大切にして、しっかり自分をいたわってあげよう。

未来のための休み時間なんだと。

そんな風に思えば、『今』を過ごす心持ちが少しずつ変わってくるように思います。



ゆうべ、亡くなった母と父と祖父が夢に出てきた。

会いたいな。


#31



しばらく穏やかな日々が続きました。
ぼんやり、ほっとできること、本当に久々で。少しずつだけど、めちゃめちゃ嬉しかった。

でもまた問題のぶりかえしが昨夜。。


まわりの人はどうか分からないのだけど
私は悩んでしまうと
本当に深く深く考え込んでしまう。

なぜあの人はあんなことを言ったのだろう
どんな気持ちで言ったのだろう
それほど追い詰められていたのか
でもそれを言うことで私がどう思うか考えなかったのか
それでも言うということは私がよほど悪かったのだろうか
あの人の精神状態が良くないのかもしれない
あの人は大丈夫だろうか
特に心は大丈夫なんだろうか
本当は辛い思いを抱えてるのではないだろうか

…といったふうに、エンドレスになってしまう。
自分の非を認めない責任転嫁だ、と言われたこともあるけど、私は人に対して、そんなふうにねっこはどうなってるのだろ、と向き合ってしまう。

でもなんというか。。

そこまで考えてるひと、極めて少ないのかも。
心配しまくったのち、『なんや元気なんかよ(´д`|||)』と気づくことが多く
その時点で自分はくたくたのボロボロになりかけてることが多く
たくさん悩ませたね等と声をかけてくれる人などめったにおらず
この循環をなおしたいと切に願う。

もっと素直に『なんや!』と反論できる力があればいいなぁと思う。
飲み込んでしまうのだ。
飲み込んでもう少し様子を見よう、となる。

でも反論すると決めたらば、手が震えるくらいの感情の溢れが必須条件ではあるので
そこをいつもためらってしまう。

向き合うことにもパワーはいるもんな。

難しい。
自分がぶれずに居られるようになりたい。
自分の空間や思いや考えの方向を守ることに罪悪感を感じすぎずにいれたら。

罪悪感につきまとわれると、日々の生活が送れなくなってしまう。



そのサイクルから抜け出したい。
ただ、それだけ。

私の日々は私のもので、ここだけは、譲れません、と丁寧に断れる人になろう。